今も、インターネットで話題の記事に関して。

1:1 ◆WiJOfOqXmc :2012/01/15(日) 03:43:40.34 id:WuLtuWlB0

俺:大学生、さえない男

たまの休みや講義の空きにゲーセンに行って格ゲーをやるのが好きだった

そこであった話を、ちょっと書かせて欲しい
ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk

 この物語が「事実」か「嘘」か。嘘だとしたら「事実」だとうたうのは、どうなのか?嘘を認めるのはどうなのか?嘘だと分かって、楽しむのは、どうなのか?というようなことがポイントとなっている感じです。

 それらの周辺エントリを読んで感じたこと。最終的に思ったのは、物語に関しては、「嘘かも知れない、事実かも知れない物語の楽しみ方、付き合い方」というのを、考えたい。ということでした。
 先ず、嘘物語を「事実である」と語ることに関して否定的な意見。


①「嘘を真実として語る事は嫌対象」

②「嘘を信じる人は、①をのさばらせるので嫌対象」

③「嘘でも楽しめればいいじゃないという人は、①をのさばらせ②を増やすので嫌対象」

④「嘘を良しとした場合のメリットが不許可とした場合のメリットを超えない。」



 ①②③共に「ステルスマーケティング」だった場合どうかで考えてみると解りやすいかと。心霊商法でも詐欺でもいいです。
実話のフリした嘘話にそれでいいじゃないかを、良しとしたくない理由。:島国大和のド畜生

 冒頭に紹介した物語が、「嘘」か「実話」かは、まだ、分からないので、そこはスルーしますが、私の感想では「創作だろうな」という感じなので、「創作」と考えて、書き進めますが、引用部分に関して。「嘘」を認めることは、「嘘」をのさばらせる可能性がある…というのは、一理あると思ったのですが、それを、ステルスマーケティング等々と含めるのは、どうかな…と思いました。潔癖すぎる…とでも、言いましょうか。

 「のさばらせる」まで含まれると、私も、関係してくる訳です。

 色々と話が広がってますが、「事実である」という付加価値を盛る…という行為を一番、嫌われている…という印象がありました。だとしたら、はてブ等々でも語られてますが、怪談等々の昔からある、「実話をかたった嘘話」というのは、どう考えてられるのかも、気になります。


 インターネット上で語られる「嘘」に関して考えました。私は、「事実として語る物語」に関して拒否反応は、そんなに、ありません。それは、既に、2ちゃんねる転載ブログで「釣りでした」、「ずこー」という体験を何度もしてますし、また、それらの経験を踏まえて、匿名で語られること、匿名じゃなくても、世の中に発信される情報は「嘘かもしれない」という予防線を張っているからです。

 なので、件のストーリーが「嘘」か「事実」は、読み始めの動機として、「マジかよ?」と思って読み進めるくらいで、終盤では「創作でも良いな」という気持ちになっていました。そこまで読み進められるかは、「事実」よりも、物語の面白さが大きいように思えます。

 そんな中、以下のエントリを読みました。

多くの人が「事実か虚構か」にこだわっているけれども、それってそんなに大きな問題じゃなくて、「それが受け手にどんな影響を与える物語なのか」こそが重要だと思うんですよ。
「アクマを ころして へいきなの?」 - 琥珀色の戯言

 このような視野を持ちたいな…というのが、素直な印象です。物語を読んで、それで感じたことは、事実だものな…と思いました。それは、私が、件の物語を最初に読み終えた時の感想、「事実でも嘘でもこの感動は本当…」ということに、繋がっていると思いました。はてブコメントに書いた言葉は、「切ない気持ちになった。それだけでいい。」だったのですが、それは、こういう意味だったのかな?と、分かりました。

 そして、そういう部分は、「事実じゃない可能性」が高いインターネット上の創作物と向き合うためには、必要な観点だと思いました。

 インターネットに限らず「事実をかたった嘘」は沢山あるように思えますが、物語に関して言えば、嘘を全部許す訳じゃあなく、それと、どう向き合うか…というのは、非常に大事だと思います。そして、「それが受け手にどんな影響を与える物語なのか」というのは、一つの答えのように思えました。


 ただ一つ気がかりなのは、「事実である」という語り口を信じて、それが「嘘」だと分かった時に、「嘘かよ!」という憤りが生まれるのじゃないか…という部分です。色々とみていると、「嘘は絶対悪」という価値観は、あるように思えました。

 なので、私が必要だと思ったのは、匿名で語られるストーリーとの付き合い方を考える…ということでした。そう思って、件の物語の冒頭を読み返してみました。事実かも知れませんが、創作としてとらえてみます。すると、端的に自分のスペックを語っていたり、非常に、小説的だと思いました。で、そこから感じたのは、まるで、「物語の主人公が掲示板に現れた」というような印象でした。よくよく考えれば、「誰でもない」という匿名の存在というのは、既に、物語的であると思えます。また、自分を語る以外にも、レスに答えたりもする訳で、インタラクティブでもあります。

 掲示板で行われる物語の楽しさ…というのは、こういう部分にあるのじゃないか?と思いました。まるで、物語の登場人物が、インターネットを介して、掲示板に現れる…みたいな。そういう楽しみ方も出来るのじゃないか?と思いました。

 後、よく考えれば、「フィクションです」と名言してないけど、「事実です」とも言ってない訳で…まぁ、それは、どうとらえるかですけどね。事実を語らない…が「嘘になる」というスパイラルに入って行きそうな気もします。


 まとめると。結局は、「嘘」だとしたら、どのように付き合うか…という部分じゃないかと思います。勿論、それは、インターネットを続けているうちに、鍛錬されていくような気もしますが、物語に関しては、「事実を語った嘘話はNG」と打ち切るよりも、それから感じたことや、触れ合い方を考えていきたいな…と思いました。

 ところで、「ゲーセンで出会った不思議な子の話」が嘘か事実かの明確な答えは、まだ出ていません。1さんが、事実を語らない限り、それは、一生分からない気がします。全国の病院に聞き込み調査をするような人もいないでしょうし…。

 「事実」だとしたら、このエントリは、非常に滑稽なモノになってしまうのですが、それは、それで良いと思います。根本が変わったとしても、私が考えたことは「事実」ですので。

 こまねち。